interview with Rima Kato
interview with
Rima Kato / JAPAN
ストロオズとしてデビュー後、現在は実兄とのFamily Basikやten toteとのディオでも活動する音楽家。最新作は英ビクトリア朝時代を代表する詩人クリスティーナ・ロセッティの詩からインスパイアされたアルバム「Sing-Song」
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Q.新型コロナの感染が拡大してからの2年間はどのように過ごされていましたか?
音楽について、生活について教えてください。
2020年の2月に東京でのライブに出演して以降一度もライブはしていません。
コロナがどれくらい危険かという感覚は人によってかなり差があると思うのですが、私はかなり危険なものだと認識していて、できる限り慎重に生活してきました。
2020年の年末と2021年の夏の2回、金沢でリスニングとトークのイベントに出演しましたが、主催者と感染対策について遠慮せずに話し合える関係だったので出演できました。
ライブができないからといって作曲や録音を今まで以上にやれているかというと、そういう勢いもなく、不便に感じていた録音環境を整えつつ新しい機材を試したりしているうちに今に至るという感じです。
もともと家で音楽を聞いたり本を読んだりして過ごすのが好きなほうですが、先の見えない状況だとしんどくなることもあり、時々海や山に行くと気分が変わって良かったです。海も山も近いのでこの点は地方に住んでいて良いことかなと思います。
Q.音楽や本といった文化的な物事の価値が、「移動」と、人との「交流」が制限されるコロナ禍で、自身と向き合う時間が増え再認識されたように感じています。
コロナ禍以前と以後で自身の音楽や音楽への向き合い方がどう変わったか、もしくは変わらなかったか教えてください。
自分の中の文化芸術の価値は変わらないですが、ウィルスそのものの怖さ以外に政治の動向や生活のことなどで心配な事が多くて疲れました。何が正しい情報なのかわからず、情報収集や感染対策などに神経を使うことになり結果的にあまり音楽に向き合えていなかった気がします。
2020年4月か5月のマスクが買えなかった時期に不織布のマスクを繰り返し使うために手洗いして干しているとき「なんでこんなことしなきゃいけないんだ…」と虚しくなったのを覚えています。こういう虚しさを繰り返し感じた2年間だったように思います。
2011年の震災の時は東京に住んでいました。震災の被害に関するいろいろな不安で2020年と同じような状態になっていたような気がしますが、もう少し早い段階で気持ちが切り替えられたような気がします。
そんな中でも2020年は人が少なそうな時間帯をみはからって映画館で見た映画がすべて素晴らしくて気持ちが救われました。『ブックスマート』、『はちどり』、『ストーリー・オブ・マイライフ(若草物語)』が特に好きでした。2021年はあまり映画館に行けませんでしたが、Netflixで見た映画では『モキシー』が好きでした。
ここ数年ほとんど読んでいなかった漫画も2020年からよく読むようになりました。女性の漫画家の作品を読むことが多いのですが、ジェンダーやフェミニズムの要素が入っている面白い作品が多いです。子供の頃に読んでいた少女漫画の作者がいまも第一線で活躍されていて、ジェンダー観もアップデートされているのを感じてうれしくなったりもしました。
Q.意図せずして、この間の変化により自身の音楽や活動が社会からの影響を多大に受けているという事実に気づかれたと思いますが、それについてどう感じていますか?
2022年にとある地方議会の与党議員がLGBTQ+の人たちへの無理解な発言をする中で「一般的でない生き方を特別に擁護する必要はない」というようなことを言っていて、LGBTQ+に限らずいわゆる「一般的」からはずれた人たちのことを理解する気もないし尊重する必要もないと思っているのだなと思いました。
与党の多数派がこういう考え方であることはわかっていたはずなのに、この発言に思いのほかショックを受けてしまいました。非常時で不安だったり気力がなくなっている時期だとこういうことが地味に効いてしまう感じがします。
Q.この間に変わった(もしくは変わらなかった)価値観を出発点として自身の音楽が今後変化していく実感はありますか?
まだ具体的にはわかりませんが、この間感じてきた不安や憤りが蓄積しているので何かしら変わると思います。
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recommended books
対訳 ディキンソン詩集 / エミリー ディキンソン (岩波書店)
ゴブリン・マーケット / クリスティナ・ロセッティ(レベル)
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Rima Kato / JAPAN
加藤りまがギターで覚えた最初の本格的な歌が子守唄だったことは、想像に難くありません。それは今日の彼女の素朴な作風を伝える歌の形です。
学校の授業で初めて手に取ったギターと共に、彼女は母から童謡といくつかのコードを教わります。これがきっかけとなり、高校生の時にストロオズを結成、自主レーベルでカセットを発売し、ミディ・クリエイティブからデビューします。90年代のローファイ・ムーブメント、少年ナイフやボアダムスといった日本のグループ、The KinksやThe Beach Boysまでの影響と、ギターへの情熱が相まって活動したこのバンドは2001年に解散。彼女は音楽界から姿を消し、フットボールに新しい恋を見つけます〜奇しくもストロオズが得意としていたネオアコの名門レーベルCHERRY REDがそうだったように〜美しい試合は、彼女のその後しばらくの最優先事項でした。
加藤りまがようやく自分のパソコンを買ってインターネットをチェックした時、aotoaoレーベルのオーナーであるASUNAによって書かれたストロオズの記事を見つけたことが、音楽人生の再スタートの契機となりました。ASUNAや周りの友達のサポートによって、彼女は全く新しいソロ音楽のキャリアを始めます。2012年ミニアルバム「Harmless」のリリースをきっかけに、2015年には初のアルバム「Faintly Lit」を発表。これまでにSharon Van EttenやJulie Doiron、Mount Eerieらのオープニング・アクトも務めています。
音楽への情熱を取り戻した加藤は、周りの世界からインスピレーションを得て、絵のように音楽制作にアプローチします。彼女は毎日何かを観察し、勉強し、そして歌を歌います。英語で歌う加藤は、物事に近づきすぎないようにしている、と話します。「Love Me, I Love You」という言葉は日本語で伝えるよりも時々歌いやすいのです。
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