日本人が移民だったころ
寺尾紗穂
¥1980(税込)
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著者の寺尾紗穂さんは、『あのころのパラオをさがして』や『南洋と私』など、戦争と植民地と人々を主題にした本を過去にも出版されています。これまでと同じ聞き書きとしてまとめられている本書。実際にその土地を訪れて時間をかけて話を聞き、拾い集めた声にご自身の思いを重ねながら書かれた文章からは、とても繊細な心配りを感じます。
戦後に植民地から引き揚げた人々が厳しい開拓地で苦悩したこと、戦後移民と呼ばれる海外に移り住んだ人々がいたこと、これらの証言者がどんどん減っていること、けれどわたしたちが生きている社会とずっと地続きにあること。意識して受け取りにいかないと知る機会は少ないと思いますが、寺尾さんの押し付けがましくない語りの中には、大切なことがたくさん書かれていました。
入管法の改正について議論が叫ばれています。庶民の歴史を知ることは、今起きていることに向ける眼差しを変える力があるように感じました。
最後にまえがきの文章を引用します。戦争のことを考える時、いつもこの言葉を思い出したいです。(谷田)
‟戦前と戦後は言うまでもなく繋がっている。けれど、そのことは一人一人の人間を主軸に見ていかなければ気付きにくいことでもある。私たちが過去を知ろうとして、テレビ番組や本などの情報から学ぶとき、それがわかりやすいものであるほど、まるで戦前と戦後は180度違う時代のように描かれ、教科書的な表層の理解にとどまってしまう。あるいは情報の多くが戦前は戦前のこと、戦後は戦後のこと、と最初から区切られている。けれど、個人の人生は厳然と連続しており、その中に戦前と戦後をつなぐ経験が凝縮され、一人一人の感情がその上に形作られている。”
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音楽家であり文筆家の著者が、
植民地パラオに渡った移民たちの「戦後」をたどる、
聞き書きルポルタージュの決定版!
日本はかつて国策として移民を推奨する「移民送り出し国」だった。
そして戦後、日本に戻ってきた移民たちのなかには、故郷に居場所がなく、荒地の開拓を強いられたり、再び南米などに再移住を余儀なくされる者も多かった。
札幌、沖縄、パラグアイ。移民たちが戦後にたどり着いた場所を著者が自らの足で訪ね、それぞれの家族の激動の旅路を追う。
【本文より】
“現在ニュースで語られる「移民」は、一番にアジアやアフリカ、中東などから日本へやってくる人々がイメージされ、日本社会への移民受け入れの是非をめぐる意見や、いかに共生が可能か、といった議論が交わされている。時に無知や差別意識に満ちた意見もみられるが、こうした日本人の「移民」イメージをのぞいてみると、移民はどこまでも「他者」であり、まるで日本人は移民になることなどないような錯覚にとらわれる。しかし、明治から戦後のある時期まで、日本は確かに国策として移民を推奨する「移民送り出し国」であった。”
【目次】
まえがき
父のいない戦後 札幌・平尾富士子さん
台風と格闘した開拓 種子島・中川博司さん
遊水地に拓いた未来 我孫子・玉根康徳さん
PTSDを呼び起こされる戦後 那覇・上原和彦さん
死亡も補償も認められない 一六歳の兄の戦死 那覇・阿良光雄さん
靖国に祀られた母 札幌・野村武さん
パラグアイからアルゼンチンへ 埼玉・鈴木光さん
除草剤入らなかったらつぶれてた パラグアイ・フラム 溝際孝市さん
二つの大和村を生きた夫 パラグアイ・エンカルナシオン 中村博子さん
移民の子が大使になった パラグアイ・フラム イサオ・タオカさん
あとがき
出版社: 河出書房新社
サイズ:200ページ 12.8 x 1.5 x 18.8 cm
発行年月:2023/7/26